現在の私
お陰様で、今では仕事も充実しプライベートにおいても、このままの私を受け入れてくれる理想パートナーに恵まれ、魂という恵をかみしめる日々を過ごす事ができるようになりました。
現在は、自信があって、自己肯定感が高く、思いを貫く行動力のある強い人、と見られる私ですがけっしてそんな人間ではありませんでした。むしろ真逆の様な人間だったのです。
こじらせ恋愛、DV婚、離婚、貧困から、魂の目覚めまで、私のパーソナルヒストリーをお話しさせていただきますね。
劣等感の塊だった幼少時代
私は子供の頃に太っていて、からかわれた経験もあり、自己肯定感がとても低い女の子でした。
自信のなさを埋めるために勉強だけは一生懸命頑張りましたが、それによって自信が芽生える事はありませんでした。
そうして大学に進学。いよいよ恋愛デビューをするくらいの年齢になりました。
しかしながら、この自信のなさ、自己肯定感の低さは恋愛に大きく影響しはじめました。
とにかくフラれ専門。いいな~と思った人は皆、他の女の子と付き合ってしまう。ますます自信がなくなり、恋愛に積極的になれず、いつも片思いばかり。
「私はそもそも運が良くないんだ」
「私は男性から見て魅力がないんだ」
と信じてしまう様になり、挙句、恋愛に限らず、何事にも
「私ならこの程度なのかな」
というのが心の中の口癖になってゆきました。
イギリスに夢をかけるも...
そんな私でしたが、この頃、私はイギリスの文化、音楽、アート全般への興味を深めていました。
そして、大学生の時、私は単身でイギリスへ旅行したのがきっかけで、イギリスへの芸術大学留学を志しました。こじらせ恋愛も、イギリスに来たらすべてが変わる!そんな気がしていました。しかし現実は…私は人種が変わっても、場所が変わっても、こじらせ続けたのです。
彼氏がいるのにも関わらず、他の男性からも言い寄られる超モテ女子を横目に見ながら
「運、人生は自分で変えられるものではない、初めから決まってることなんだ。」
と思い込んで、ため息をついていました。
そんな私に、大学卒業後、熱烈に私に好意を持ってくれる男性が現れました。のちにDVになる、元夫でした。
不安から逃れるために選んだ結婚
彼は、将来の不安ばかりにさいなまれていた私に安心を与えてくれました。
安定性のあるお仕事、住む場所、車での送り迎え…
「結婚すればなんとかなる。愛されていれば幸せなはず」
と、元夫と私の共通の友達に警告されたにも関わらず、ざわつく心を無視して、わずか6カ月で彼と入籍してしまいました。
彼のDVが顕著に現れ始めたのは結婚して3年目。その後からは年々エスカレートしていきました。しかし私は、現実をずっと直視できず、彼の事をDVだと認めたのは結婚して10年後の事。
その時にはすでにうつ病が発症し、複数の薬を常時服用していました。
さらなる試練...
そこへさらに試練が訪れました。
祖母と母の死。
私は幼少のころから二人に甘え、依存することに慣れていた私は、
「おばあちゃんなしで、おかあさんなしで、どうやって生きて行ったらいいの?」
と思いました。
二人の支えなしで人生を生きて行く用意など全くできていませんでした。嵐の荒波の中に一人、投げ出された気分でした。私は心身ともにその波の中に飲まれてゆきました。
激化するDV、鬱の悪化、激太り、肌荒れ、健康悪化
DVによる孤立、そして祖母、母という大黒柱が崩れ、私のうつ病はさらに悪化、仕事も通えなくなり休職。金銭的自由も失い、
医師、看護師が日に二回往診するほどになってしまいました。それでも繰り返す、DV、警察介入の日々。
でもそんな中一つだけ、私に笑顔をくれる存在があらわれました。
子猫が庭にひょっこりと現れ、私について回るようになったのです。私とその猫はその時から切っても切れない絆で結ばれました。
私はこのときばかりは、元夫の反対を押し切って、すべて私が責任を負う事を条件に、その猫を飼う事にし、キキと名付けました。ここから14年間、キキと一緒に、私が最高の幸せをつかむまでの大きな冒険が始まりました。
彼女なしでは今、私は存在していない、と言うほど、彼女は、この難しい道のりに光をともしてくれました。
そんなあるとき、たまたま病状が楽な時に、日本の文化イベントに行きました。そこでやっていたオンラインライブに私は、たまたま映りこんでしまいました。当時まだ30代前半、なのに映りこんだ私に、
「おばちゃんが映ってる」というコメントが入ったのです。
薬の副作用、引きこもりで10キロ以上太り、姿勢も悪く、お肌もボロボロだった当時の自分自身の有様を認めざるを得なかった出来事でした。
スピリチャル依存の始まり
何とか変わりたい!と思ったものの、この頃の私は「人に変えてもらう」事を期待していました。私は頼り切っていた母、祖母と何とかコンタクトしたいという思いから、月1回は、霊能者に会いに行くようになっていました。霊能者依存からさらに私はスピリチャルに不健康に傾倒しはじめました。
占い依存、満月、新月、パワーストーン、神社参拝、パワースポット巡り…
ありとあらゆることに手を出し始めました。
しかし何も変わりませんでした。占いで12年に一度の大幸運期と出ていた年も何事も変わらず過ぎてゆきました。
人生を変えたイケメンの言葉
そんな時、ひょんなことから知り合いになった人生の中でも稀に見るイケメン男性に出会いました。彼は音楽講師であり、ロックバンドのミュージシャンでもありました。ギターもピアノもあらゆる楽器を扱い、周りの女性を虜にしていました。彼には恋愛感情は出ませんでしたが、どういうわけか、ウマが合い、良く話し込むことが増えました。
そんな時、彼が
「君はあの旦那と何してるんだ?彼は本当にいいやつなのか?」
「君に気づいてほしい事がある。君は美しい人なんだよ」
イケメンの言葉は何よりも良薬でした。自分が美しい人、なんて思った事が無かった私は魂が震える思いでした。前途多難なのはわかっていました。でも、ここから離婚へやっと始動しました。
銀行残高マイナスからビジネス設立
とにかく身も心も不健康な自分を何とかする必要がありました。うつ病と苦しむ日々でしたが、とにかく美肌を手に入れたくて、化粧品製造を学び、自作コスメでビジネスを始めました。これらの自己投資、ビジネス投資で貯金はほぼなくなり、離婚後どうやって生活するのかもわかりませんでした。
続く嫌がらせ、ますます不健康スピリチャル
命からがら、なんとか元夫と別居をしたものの、脅し、嫌がらせを受ける日々。震える私のそばで愛猫キキはそっといつも添い寝してくれていました。
なけなしのお金も脅されて巻き上げられたこともあり、金銭状態も常に非常事態でした。私はかかさず、新月の日には願い事はかかさない事はもちろん、最強と言われるマントラも毎日唱えました。が、状況は良くなりませんでした。
魂が目覚めた日
さらに、そんな危機の中でも、とにかく心のよりどころであった、霊能者には毎月会いに行っていました。そしてある時。いつものセッションが終わった後、その霊能者さんから出た言葉で私は雷に打たれたような衝撃を受けたのです。
「ではまた来月...」
この言葉でついに私は目が醒めたのでした。
「こうやって霊能者依存、占い依存、スピ依存してる限り人生は変わらないんだ!」
これを最後に私はすべてのスピリチャルをやめました。
満月新月、パワーストーン、おまじない、パワスポ巡り、占い、マントラ…全部!
Drジョーディズペンザと科学的スピリチャル
私がスピリチャルだと思っていたスピリチャルを全てやめた数日後。YouTubeで突然オススメとして上がってきたのがDrジョーディズペンザの講演でした。
「アメリカのポジティブベースの自己啓発かな…」
こういうものは、自分に「ダメ出し」されそうで、怖くて観れなかったのですが、なぜかこの時は「ダメ出し」されることを覚悟しながら観ることを選びました。
しかし、彼の講演は全く人を見下したり、ダメ出ししたりするようなものとはかけ離れたものでした。脳科学、ニューロサイエンス、量子力学、物理学、臨床試験をベースにした、現実的、かつ本質的なスピリチャルだったのです。
大きな衝撃でした。私が今までスピリチャルだと思っていた事はスピリチャルではなかった。
「本当のスピリチャルとは、自分と向き合う事だったんだ…」
Spirit=魂
その名の通り、魂と向き合うこと。それがスピリチャリズム。
そして自分と向き合う最善のツールは、瞑想。
私はここで初めて
「自分で自分を幸せにしよう」と誓い
トコトン自分の魂と向き合う事を決心しました。
瞑想と被害者への気づき
それまでも瞑想をする事はありましたが、私は瞑想をまったく間違って理解をしていました。
頭を瞑想状態にして、欲しい願望を潜在意識に送り込む。
こう言った事を繰り返しては挫折していたのです。だから瞑想は嫌いでした。
本当の瞑想は、ただ、過去も未来も切り離し、意識をいまここに戻す練習。過去のトラウマそしてそこからつながる未来の不安でいまここをただ、人生の被害者の様にして生きていた私は、いまここに戻り、ここにある静けさを感じ、その時間を楽しむようになってゆきました。
奇跡
瞑想で、いまここに自分を戻せば戻すだけ、取り巻く状況は変わってゆきました。驚きは、まずは身体からでした。10キロ以上激太りしていた身体はするりと適正に戻り、ヨガも併せることで適度にしまった20代の頃より良い身体になりました。それに伴って髪の毛、肌のツヤも良くなり、久しぶりに会った友達たちから
「別人!」
「痩せたのもあるけど、それ以上に何かちがう!」
「目が変わった!」
と驚かれました。
そうするとビジネスも軌道に乗り始めました。
最後のこじらせ恋愛
全てがうまく行き始めていましたが、最後まで手放せなかったのが、恋愛こじらせ癖でした。その頃私は離婚後初めて、素敵なイギリス人男性とお付き合いを始めていました。(ニセ王子)彼は物腰もしゃべり方も夢に描いていた様な紳士。私は彼の虜になっていました。私は彼を運命の人と思いたくて、瞑想の最後にはいつも、彼と永遠に結ばれることを必死に想像していました。
しかし彼にとって、私は「運命の人」ではなかったのです。
2年半お付き合いの後、私は彼から別れを告げられました。それは彼のやさしさでもありました。「もう僕と時間をムダにしないで」と。
手放し
辛くて辛くて、瞑想も出来ない日々が続きました。彼に似た人を目で追う日々。また、暗闇の日々がやってくるのかと思いました。
でも、この時には私は以前のただ、被害者意識で生きていた頃とは違う私になっていました。私は、私の魂がそれでも
「絶対幸せになるんだ!」
と訴えているのを感じました。そこで私はニセ王子を手放すことを決心しました。
本物王子 ダーリン
ニセ王子を完全に手放した3週間後の事。私は友達主宰のパーティに参加しました。とても楽しみにしていたパーティーでした。一人で参加する事もまったく寂しいとも思いませんでした。
パーティが始まるやいなや、素敵なスーツを着たドイツ人の男性が声をかけてきました。その後もずっとこの状態で、この晩だけで、私は5人もの男性から声をかけられたのでした。しかもどの人も素敵な人ばかり!
でもその日の私は全く男性に興味がなかったのです。一人を楽しんでいたのです。
その5人のうち最後に声をかけて来たのが今のダーリンです。
私の興味のない態度にもあきらめず、「とにかく連絡先をもらうまで帰らない!」という熱意だったので、ついに根負けし、連絡先を交換したのが始まりでした。
それから6週間、彼はさらにあきらめずアタックしてきました。
それから6年、私たちはお互いにとって、史上最高のパートナーとして、毎日もっと「恋する」関係を続けています。
ダーリンと初めての試練 4カ月離ればなれに
数年前の疫病の流行で、まだ同居していなかった私たちは初めて試練を味わいます。彼の会社が業務縮小。彼の部署がなくなり、彼はリストラとなったのです。しかしながら、幸いすぐに、彼はもっといい会社から仕事のオファーをもらう事になります。でも問題は、その会社はスロバキアにある事でした。
素晴らしい経験の機会でしたし、私は彼に行くように勧めました。
毎日電話はしていましたが、寂しくなかったと言ったらウソになります。でもそんなときも、愛猫キキが私を癒してくれました。毎日笑顔にしてくれました。
でもそんな中、キキは持病の糖尿病が悪化、お腹にガンも見つかり、ダーリンもそばにいない中、私はキキを失う恐怖で押しつぶされそうでした。
ユニヴァースは全て最善のために動いてくれている
キキはダーリンにもとってもなついていました。食欲も減り、元気が無くなって来ていた頃、グッドニュースが飛び込みました。
ダーリンが、イギリスの会社から引き抜きオファーをもらったのです。
私はキキに、「ダーリン帰って来るよ!」と報告し、「頑張ろうね、もうじき会えるよ!」と励ましていました。
でもキキは、ダーリンを待つことなく、彼が帰って来る前日に旅立ちました。
14年間、真っ暗闇のトンネルの中でも光をともしてくれた存在がいなくなり、世界が真っ暗になりました。
でも、私は、ユニヴァースの意図をすぐ理解できました。
キキは私が「本当の意味で大丈夫」になるまで見届けてくれる天使として、ユニヴァースが送りこんでくれていたと言う事。
14年間、あの地獄の日々から、私が本当の意味で自分の力で立てるようになるまで、見届けてくれたのです。それがキキの魂のミッションだったのです。
私はサイエンスベースの現実的スピリチャルで、自分の魂と繋がる術を手に入れ、人生の被害者として生きる生き方に終止符を打つことができました。この3次元的被害者意識を手放せば、ユニヴァースは常に私たちの人生を最善な方向に向けるために私たちをガイドしてくれていることを、魂で感じることができるようになります。ユニヴァースの意図がわかるようになるのです。
私はこれらの色とりどりの経験というギフトを使って、今度は沢山の人の人生をトランスフォームする手助けがしたい、と心から願っています。
私と繋がってくださってありがとうございます。
一緒に、創造主としての意識を取り戻し、5次元的に自分が魂から望む人生を歩んで行きましょう!
COCCO